「荒ぶる熊を追って」(『多摩美術大学研究紀要』28号)

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多摩美術大学研究紀要の第28号(2014年3月31日発行)に「荒ぶる熊を追って」という論文が掲載されました。北半球各地の熊をめぐる伝承などと星野道夫の作品を結びつけて語ったものです。

20世紀末のアラスカに暮らし、北の大地と生命をカメラで捉えた星野道夫は、狩猟民の生活と文化に親しみ、古老たちの語る「神話」に耳を傾けた。彼はそうした言葉を学術的に記録するのではなく、それらを自分自身のものとして引き受け、新たな「私たちの物語」を紡ぎ出そうとした。そこから生まれた最もはっきりとした成果が、『アークティック・オデッセイ』や『ナヌークの贈り物』の、口承歌の聞き書きのような文章だろう。やがて狩人となる少年と「ナヌーク」の邂逅のストーリーには、極北の民の世界観がとりわけ鮮烈に表れている。

本論では『ナヌークの贈り物』を星野の「物語」の頂点と位置付け(彼は道半ばで早逝してしまった)、その意義を測るための指標として、北半球の狩猟民らが語り継いできた(あるいは語らないようにしてきた)〈熊〉像を探る。第一章では様々な言語における熊の〈呼び換え〉を挙げ、多くの地域で陸の食物連鎖の頂点に立っていた熊が、人間にとっても畏敬の対象であったことを示す。第二章では熊に対する〈畏れ〉のあり方を、各地の伝承によって確認していく。これらの章で扱う慣習がアクティブに存在した時期は、言うまでもなく土地によって大きく異なっている。例えば北海道のアイヌ社会には1940年代になっても悪い熊を懲らしめる儀礼があったが、一方で日本の本土には、熊への眼差しに関わる土着の表象そのものが少ない。そんな環境で書かれた「なめとこ山の熊」を、続く第三章では批判的に読み直し、職業ハンターに向けられた宮澤賢治のシンパシーの偏りを、東北マタギの資料を用いて分析・考察する。第四章では星野道夫の後半生を辿り、彼の歩みとそこで実を結んだものについて論じる。

熊の詳しい生態や異常出没など、動物学の領域に属する問題にはここでは触れない。カムチャツカを訪れていた星野道夫が人間の食料に執着していたと思しき熊に襲われ亡くなったことについても、どうすればそれが回避できたか、といった問答をあれこれ並べることはしない。自ら狩人になるという意思を彼は抱いていたが、それは狩猟技能の獲得のみで満たされる目標ではなかった。動物と人間の命のダイレクトな連続性、そのリアリティーを生きてきた人々の見ている世界に、彼は入っていこうとしていたのだった。

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