「開かれた道のどこかで」(『Art Anthropology』02 )
モーテルの部屋の中、昼のあいだに蓄えられた熱気を巨大なエア・コンディショナーが雨の降るような音を立てて冷却しているその反対側で、小さな机の上ではラップトップが明日の経路を映し出していた。あらゆる地理的制約を一跨ぎにしてしまう情報のネットワークには、モーターサイクリストたちの報告を集めた「線」のデータベースもいくつか存在している。点と点のあいだの移動を限りなくゼロに近づけようとする合理性の病を逃れて、彼らは道それ自体を肯定し、轍を共有する。各々が持つ地図にはそれを元にマーカーが引かれ、だがもちろん、「魂」が先に走り出すのは手元ではなく窓の外に目をやった時でしかない。ホイットマンの子である彼らの中に、「お下がり」の行路をそのまま踏襲することをよしとする者は稀だろう。道は無数にあり、良い道もまた一つきりではない。誰かの残した標は、懼れることなくそこから逸脱していくための起点に他ならない。
「フィールド・ミュージアム・ネット W・ホイットマン構想 開かれた道のどこかで」. 『Art Anthropology』02 (2009): 51-54.
IAA = 芸術人類学研究所の友の会会報に掲載された紀行/小論文。北米大陸を横切るバイクの旅の途上で立ち寄ったカンザスの町ユリシーズを舞台に、その地名をきっかけにスタートした、オデュッセウスやホイットマン、道をゆく者たち、また自らの向かう先についての思考を、夜をはさんだ約半日の推移に沿って綴る。