Room vs. Man、それからモーターサイクル

荷物の移動がようやく終わり、徐々に掃除&家具等の位置決めをやっている。今日は朝から雨だったが現在(正午を少しまわったところ)は流れる雲の切れ目からすっと日が差したりしている。一年以上前に焼いたCDを聴いて、今は誰もいない部屋で少しぼうっとしている。

ニューヨークと部屋、といったらどうしたってポール・オースターの小説のイメージが入り込んでくる。鍵のかかった部屋、孤独の発明、ムーン・パレス、etc。新しく移り住んだ部屋と心をシンクロさせていく過程で、いったいどれだけの割合で人間がその部屋を自分のカラーに染め、またどれだけの割合で部屋が人間を征服するのだろう。

この片づけが終わったら戦いは終わりなのか、という疑問が浮かんでくる。その程度で部屋を手懐けおおせるのか。これまで住んできた部屋を引越しのために空っぽに、裸にしていくと、部屋はまたもとのよそよそしさで現れてくる。空間は埋め尽くせるかも知れないが、時間というフィールドにおいて人間は部屋に負け続ける。『レス・ザン・ワン』でブロツキーが言うように。

二輪車で空間を走るというのは、部屋に騙されないための方法なのかも知れない。人間の負けを知ること。間借り人に過ぎないという自覚を持つこと。空間を時間にそろえること。風にゆがんだイメージを追いかけていくこと。『ギルバート・グレイプ』の燃える家、『ノスタルジア』の草原を囲う大聖堂を超えて、『サクリファイス』の燃える家。焚き火と夜と犬。火を抱いて暮らすこと。エンジン。

ずいぶんNYという記号から離れることができた。離れるとまた、その町が愛しい。NY、東京、逗子、京都、サンフランシスコ、那覇、いるもて。まだまだたくさん走りたい。