MCin'と季節
MCin'といってもヒップホップの文脈での話ではなくて、MotorCyclin'の略。今日の目ざましは川向かいのQueensbridgeをもともと根城とするNasのクラシック、IllmaticだったのでそっちのMCin'に関係なくもないが、ここから語りだせるほどヒップホップを知らないのでもう一つのほうに飛ぶ。
日本は極寒、豪雪で沢山の方々が亡くなっている模様だが、ニューヨークの今冬はあったかい。もちろんこれは熱帯の空気を運んできた破壊的なハリケーンたちのせいでもあるのだろう(台風・ハリケーンが無くなれば温帯から先は氷河期化するというような話です)。例年ならば雪&路面凍結で単車はガレージにほぼ置きっぱなしとなるところだが、外を見ると今日は良く晴れているし、気温もぼちぼちありそうなので「乗ったろ」度が上がってくる。
二輪車に乗っていると気候の変動には敏感にならざるを得ない。某掲示板のバイク板にある質問スレッドにはいつも聞いたこともないような季語がわざとあてられていて、季節と共にあることを誇るような、あるいは軽く自嘲するような態度が現れている。
だが面白いことに、バイクに乗っている時の喜びはどこか季節を超えている。バイク乗りには夏しかない、あるのは暑い夏とか寒い夏とかの違いだけ、と某マンガにあったけど、それはすごくよくわかる。熊本在住のとあるアメリカ人俳句研究家がメールで送ってくれた俳句も季語を欠いていた。それでもおかしく感じなかった。俳句というのが瞬間がとろ始めるところをうたうような詩質を持っているのに対して、バイクの感動はたえず瞬間を追いかけているようなところがある。
芭蕉の作る句には季節を味わうというよりも超越していくかのような傾向が時としてみられるが、そのあたりがバイク乗りとしての自分に特別なものとして響いてくるのかも知れない。